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IAI-Art gallery
東京国立近代美術館
東京国立近代美術館
東京都千代田区北の丸公園3-1


「ゴーギャン展」

〜 目覚めよ、自らの内なる野生に。混迷する現代に向けられたゴーギャンからのメッセージ 〜


会期: 2009 7/3(金)〜9/23(水・祝) 展覧会は終了しました。
休館日:毎週月曜日
開館時間:10:00〜17:00、毎週金・土曜日10:00〜20:00(入場は閉館の30分前まで)
会場:東京国立近代美術館 (北の丸公園・竹橋)



《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》 ゴーギャンの最高傑作 日本初公開!

ゴーギャンは、なぜ熱帯の島タヒチに向かったのか。
文明と野蛮、聖と俗、生と死、男性と女性、精神と物質、これらの両極に引き裂かれながら、
人間の根源を探求し続けた画家ゴーギャン。
日本初公開となるタヒチで描かれた大作、《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》 を中心に
画家が文明社会に向けて残したメッセージを読み解きます。


本展覧会の中から5出品作品を、ご紹介します。
画像をクリックすると大きな画像でご覧いただけます。

ポール・ゴーギャン《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこに行くのか》

ポール・ゴーギャン (1848-1903)
《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこに行くのか》
1897-98年 油彩・カンヴァス 139.1x374.6cm ボストン美術館
Tompkins Collection-Arthur Gordon Tompkins Fund,36.270
Photograph©2009 Museum of Fine Arts, Boston. All rights reserved.


1895年ゴーギャンは再びタヒチの地を踏み、その後二度とヨーロッパに戻ることがなかった。 《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこに行くのか》 この謎めいたタイトルを持つ大作は、この二度目のタヒチ滞在中に描かれる。 作者自身「これまでに描いたすべてのものよりすぐれているばかりか、今後これよりすぐれているものも、これと同様なものも決して描くことはできまいと信じている。」と述べているように、まぎれもないゴーギャンの最高傑作である。
この大作を描いた当時、ゴーギャンは極めて過酷な状況に置かれていた。遠く離れたヨーロッパでの愛娘の死、悪化する病の苦しみ、経済的な困窮。親友モンフレエにあてた手紙に拠れば、「私は12月に死ぬつもりだった」のであり、「死ぬ前に、たえず念頭にあった大作を描こうと思い」、「まる一ヶ月の間、昼も夜も」この作品に取り組んだのである。  *「 」内は「タヒチからの手紙」から引用


ポール・ゴーギャン《パレットをもつ自画像》

ポール・ゴーギャン (1848-1903)
《パレットをもつ自画像》 1894年頃
油彩・カンヴァス 92.0x73.0cm 個人蔵

画家ポール・ゴーギャン(1848-1903)
1848年 パリに生まれる。父はオルレアン出身のジャーナリスト、母はペルーの貴族の血統を引く女性解放運動家フローラ・トリスタンの娘だった。幼少期をペルーで過ごす。1855年頃帰国。
1865年 海員として商船に乗り組む。
1872年 パリで、株式仲買商となり経済的に成功。デンマーク女性メット・ガットと結婚。ピサロら印象派の画家たちと交流し、作品収集と制作を始める。
1879年 第4回印象派展に出品。その後1886年の最後の印象派展まで毎回出品。
1883年 職を辞して画家を志す。
1886年 ブルターニュ地方のポン=ダヴェンに滞在。
1887年 パナマおよびマルティニーク島に旅行。
1888年 アルルでファン・ゴッホと短期間の共同生活。ゴッホの耳切り事件の後パリへ帰る。
1891-1893年 最初のタヒチ滞在。
1893年 帰国、パリのデュラン=リュエル画廊でタヒチで制作した作品による個展。
1893-1894年 『ノアノア』のための木版画を制作する。
1894年 ブルターニュに滞在。
1895-1901年 2度目のタヒチ滞在。
1897-1898年 《我々はどこから来たのか》を描く。
1898年 パリのヴォラール画廊で《我々はどこから来たのか》に9点の小品を組み合わせた個展。
1901年 マルキーズ諸島のラ・ドミニック島(現ヒヴァオア島)に移り住む。
1903年 心臓発作により死去。


ボストン美術館以外に、ニューヨーク近代美術館、クライスラー美術館、プーシキン美術館、テート・ギャラリー、シュトゥットガルト州立美術館など、日本初公開作品8点を含む厳選された作品、53点が集められています。


ポール・ゴーギャン《洗濯する女たち、アルル》

ポール・ゴーギャン (1848-1903)
《洗濯する女たち、アルル》 1888年
油彩・カンヴァス 75.9x92.1cm ニューヨーク近代美術館
DIGITAL IMAGE©2009 The Museum of Modern Art/Scala, Florence

中世には多くの教会で栄えたアルルは、歴史的遺跡が残る街であった。アルルに着いたばかりのゴーギャンは、ゴッホの案内で街を散策しながら、同じ場所でイーゼルを構え、同じ風景や主題を描いている。ゴッホはアルルに芸術家が自由に制作するユートピアが生まれる夢を膨らませていた。


ポール・ゴーギャン《海辺に立つブルターニュの少女たち》

ポール・ゴーギャン (1848-1903)
《海辺に立つブルターニュの少女たち》 1889年
油彩・カンヴァス 92.5x73cm 国立西洋美術館(松方コレクション)

1888年12月パリに戻ったゴーギャンは翌年2月、三度目のブルターニュに赴く。パリとブルターニュの芸術家コロニーを往復しながら約2年間多くの若い画家たちに囲まれた生活であった。ゴーギャンはゴッホへの手紙の中で「ブルターニュの田舎の人々は中世に生きているようで、パリがあることも、今が1889年であることも知らないかのようだ」と書いている。


タヒチは、濃い緑の山襞が幾重にも重なり合い、その間に静かな谷間のありそうな、高い山のそびえ立つ緑の島である。冷たいせせらぎが流れ落ちて行く薄暗い谷間には神秘が宿るようであり、あたりのほの暗い土地では、太古の昔から、少しも変わらぬ人々の生活が営まれてきたのだと感じる。ここにも、どこかもの悲しい、恐ろしげなものがある。…………
ストリックランドは、タヒチで接した人びとに特にこれといった印象を残さなかったようである。人びとから見れば、彼は金に始終こまっていた浮浪者にすぎず、絵を描いているという点のみが他の浮浪者と違うのだが、その絵は人びとには馬鹿げたものに見えたのであった。自分たちの近くに重要人物が暮らしていたのだと島民が知ったのは、彼の死後数年して、パリやベルリンから画商の代理人がわざわざやって来て島に残っている作品がないかと探し始めたときからである。そのときになって初めて、今なら相当の金額になる絵を二束三文で入手できたのに、機会を逃したと口惜しがったのだった。…………
《月と六ペンス》 モーム作 行方昭夫訳より引用


ポール・ゴーギャン《ファア・イヘイヘ(タヒチ牧歌)》

ポール・ゴーギャン (1848-1903)
《ファア・イヘイヘ(タヒチ牧歌)》 1898年
油彩・カンヴァス 54.0x169.5cm テート・ギャラリー
©Tate, London 2008


関連企画
・こどもセルフガイド
「ゴーギャンの冒険」
「ゴーギャン展」会期中に来場した小中学生に、作品を見るためのヒントやクイズ、画家に関するエピソートなどを紹介した書き込み式のセルフガイドをプレゼントします。
配布期間:2009 7月3日(金)〜9月23日(水・祝) *休館日:月曜日(7/20、8/17、24、9/21は開催)、 7月21日
配布対象:小・中学生
・教職員鑑賞プログラム
「ゴーギャン展」先生のための鑑賞講座 (講演+展覧会観覧) *学校教職員が対象プログラムです
日程:2009 7月3日(金) 講演18:00-19:00/展覧会観覧16:00-20:00
*要事前申込
※お問合せ先:03-3214-2605(月〜金曜 10:00-17:00) 国立近代美術館教育普及室

主催:東京国立近代美術館、NHK、NHKプロモーション
後援:外務省、文化庁
協賛:損保ジャパン、大日本印刷、トヨタ自動車、三菱商事
特別協力:ボストン美術館、名古屋ボストン美術館
協力:日本航空
お問合せ:ハローダイヤル 03-5777-8600
展覧会公式サイト:http:/gauguin2009.jp/

参考資料:Press Release、「ゴーギャン展」カタログ等、他。

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